長編、みちのく一人旅

GWを利用して、岩手県から青森県まで北上する車中泊旅をした。
俺の人生でこれほどの長距離を運転するのは、はじめてだったので、出発前からかなり楽しみだったことを覚えている。

かなり長いので、心して読んで欲しい
MEMO
旅行日:2012年4月28日~5月2日

【初日】まずは旅の拠点となる岩手県を目指す


8時に家を出て、最寄の海老名インターから高速に乗り、海老名サービスエリアでコーヒーを買う。
写真にあるとおり今、8時半前、ここから岩手県まで650Km。
長い旅になる。
しかし、その反面、俺はすごくワクワクしていた。


首都高に入ったとたん、渋滞に巻き込まれる。
もう少し早起きするべきだったかと後悔する。


まだ600Kmもある。
昨日、ドンキホーテの安売りで買い込んだお菓子を食べる。
チョコレートは暑さで解けていた。


東北自動車道に入ったとたん、流れがスムーズになる。


この橋を渡れば群馬県だよ。
まだ岩手まで400Km以上ある。


抜けるような快晴で、最高の気分だ。
旅は始まったばかり、それに9連休。
文句のつけようがない。


4時間くらいぶっ通しで300Kmも走ったので休憩する。


サービスエリアは車でいっぱいだよ。
でもまだマシ。
ガソリンスタンドが併設されているサービスエリアはそもそも渋滞していて並ばないとサービスエリアに入ることもできない。


アイスを食べながら休憩する。
遠くから川のせせらぎが聞こえる。
風が気持ちいい。


残り300Km、あと半分だ。
東北自動車道はいたるところに桜が咲いている。


気仙沼を通り越す。
災害がなければ今回の旅行の目的地のひとつに加えたかったんだけど、仕方ががない。
復興が早く進むようにと願う。


前沢サービスエリア。
遂に残り100Kmだ。
すでに16時を過ぎており、日が傾いてきた。


桜が満開。
俺の住んでいる神奈川県では、当然、GWは完全に終わっているので、すごく新鮮な感じがした。


目の前に広がる桜吹雪と斜陽。
なんだか悲しい気持ちになる。
出発したときの爽快感とは違う気がした。


私の相棒です。
13万円という激安価格で買った中古車だけど、本当に日本中あちこちこの車で旅をした。


ラジオのカーステレオから流れてきたのは、小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」
”ぼくらの住むこの世界では太陽がいつものぼり、喜びと悲しみが時に訪ねる”
一緒になって歌う。


600Kmの長い道のりはようやく終わる。
もう17時を過ぎている。
朝8時から運転しっぱなしで疲れた。


今日の寝床にする道の駅に到着。
さっきの出口から5分くらいだ。


どうしよう、とりあえず日帰り温泉にでも行こうか。


まだ明るいので、日帰り温泉近くの「焼き走り溶岩流」を先に歩くことにした。


溶岩に埋め尽くされて草木一本、生えてない。


日もかなり落ちてきたな・・


空には月が浮かんでいた。


来た道を引き返す。
かなり暗くなってきた。
足元が悪いので危ない。


日帰り温泉へ。
いま19時くらい。
なんと350円だった。安い。
湯を手にすくって臭いを嗅ぐと塩素の臭いがする。
なんだ、循環させているのか。
明日はかけ流しに入りたいな。


携帯で公衆無線LANスポットを探す。
20Km先のマックしかない。
今、23時。この日記を書いている。
旅はあっという間に時間が過ぎる。
もう一日が終わってしまう。
明日もすばらしい景色に会えるといいな、と願い、道の駅に戻って寝ることにする。

この日記は2012年だけど、当時はテザリングすらなかったんだよね。
なので、毎日、公衆無線LANを使えるところを探して、日記を公開していた。
わずが6年前でもこんなに不便だったんだな。

【2日目】八幡平の廃墟を探索し、野湯に入る


7時頃に起床する。
昨日のマックの後、道の駅に戻ったんだけど、混雑していたので、、高速のインター近くのスペースに移動した。


朝方、あまりの寒さで目が覚めたよ。
失敗したな、毛布を持ってくるべきだった。
途中でホームセンターか何かを見つけたら調達しよう。


八幡平アスピーテラインに向かう。
今日も快晴で気持ちがいい。


八幡平アスピーテラインは朝8時半になるまで通行止めになっている。
近くの松尾歴史民俗資料館で時間をつぶす。


八幡平には松尾鉱山という石炭の採掘場があった。
この車両はその際に用いたものだ。


石炭を積むためのものなのかな。
朽ち果てて穴が空いている


さあ、8時半になった。
ここからアスピーテラインを駆け上がる。


標高が上がってくると、雪が残っている。
肌寒く窓を閉めて走る。


突然、目の前に異様な光景が現れる。


エネルギーは石炭から石油に代わり、炭鉱は廃れた。
これは、松尾鉱山で働いていた人が住んでいた団地なんだろう。


かつての繁栄の面影はもはやない。
周囲には雑草が生い茂り、建物は風化が進んでいる。


入ってみる。
お化けよりも人間が怖い。
誰かと鉢合わせするとお互いにびっくりするので、「さあ、入ってみるか」とわざと大きく声に出してみる。


床が抜け部屋の原型を留めていない。
窓から明るい日が差し込むのがせめてもの救いだ。


廃墟の屋上へ。


雪の白と新緑の緑がきれいだ。
風が冷たくて心地よい。


廃墟と車。
さて、先に進もう。


さらに標高が上がる。
すると道路の左右に雪の壁が現れる。
まさに雪の回廊だ。
一年のうち、この時期にしか見られない。
GWにみちのく旅行を選んだのは、この雪の回廊を見てみたかったからという理由もある。


以外とやわらかい。
どんどん解け始めているのだ。


歩いてみる。
道を走る車と比べると雪の壁がいかに高いか実感する。


山頂の駐車場に到着。


白樺樹液という飲み物が売られていた。
1晩かけて1リットルしか採取できないらしい。
薄めているのかどうか、と売店のオバサンに聞いたら原液とのこと。


匂いはない。
飲んでみると、ほんのり甘い。
何となく木の香りもするような気がする。


八幡平の大自然に乾杯!


山頂までハイキングしようと思ったけど、登山靴やステッキの装備がないと無理だ。
残念だけど諦めた。


太鼓の息吹、という場所。
まぁ、温泉だね。
雪のない時期には、ここで卵や野菜を持ち込んで煮て食べるんだって。


松川地熱発電所へ。
ここは日本で最初に出来た地熱発電所だ。


この大掛かりな設備を使って供給できる電力は5万世帯だそうだ。


見学に訪れていたオッサンが、原発なんか全部潰して、こういう地熱発電所をたくさん作ればいいんだよ、と言っていた。
日本には4000万近い世帯が存在する。
5万世帯という地熱発電の能力が如何に小さいか実感する。
すべてを再生可能エネルギーで賄うなんて本当に可能なのかな。


雪の回廊を進む。


なんか見つけた!
湯煙が立ち込めている。


凄い坂道をほとんど滑落しながら降りる。
帰りに上れるか不安になってきた。


凄い!こんなところに野湯がある。


手を入れてみる。
すばらしい湯加減だ。
45℃くらいだろうか。
入るか否か悩んだ。
だって道路から丸見えだからな。


誰かが置いていったカゴもあるので、せっかくだから入ることにしたよ。


すごい硫黄の臭い。
これは強烈だった。


野湯でさっぱりした後は後生掛け温泉へ。
とはいえ、温泉はさっき入ったばっかりなので、代わりに自然研究路を歩くことにした。


と、思ったら雪で進めない!
まだ、この先には進めません、ってこんなRPGみたいなことあるのかよ!


どうしようもないので、玉川温泉に向かう。


玉川温泉はさっきの後生掛け温泉よりも標高が低いことろにあり、自然研究路も普通に通行できそうだ。


玉川温泉の湯畑を見る。


これは単なる山に見えるけど、放射線を出す凄い貴重な岩なんだって。
日本では玉川温泉にしかなく、同じようなものは台湾にしかないらしい。


玉川温泉の源泉。 大量の温泉が湧き出していて、凄い熱気だ。


熱湯の川になっている。
凄い光景だよ。


ここは地熱で地面が暖かく岩盤浴をしている人がたくさんいる。
ゴザを持ってくるべきだったかな。


近くの売店で”きりたんぽ”食べた。


玉川温泉に入る。
この湯は凄い。
超酸性の湯。
髭を剃って、湯を顔につけると超しみる。
口に含むと超すっぱい。
20分くらい浸かっていたら、首のあたりがチクチクしてきたので上がる。
肌が弱い人は長く浸かっていられないくらいの強酸性の湯だ。


本日の寝床となる道の駅に向かう。

【3日目】奥入瀬渓谷を抜けて八甲田山へ向かう


昨夜は寒すぎて全然、眠れなかった。
夜中に温度計を見ると、何と6度。
完全に真冬の気温。
結局、ウトウトしてきたのは、日が差してきてが暖かくなってきた頃だよ。

GWの東北は寒く、特に夜はかなり冷える。車中泊するなら毛布は必須。


8時頃に起床して、十和田湖を目指す。
すでに青森県に入っている。
本当に遠くまで来たなぁ、と改めて思う。


十和田湖近くのお土産屋さんに到着。


ここから湖が一望できる。


運転に疲れたので、30分くらいのんびりする。


湖畔へ。
風がなく、水面は静かに揺らいでいた。


湖畔は砂浜になっていた。
のんびり歩く。


火山活動で隆起したところが島になっていた。
島には松が自生している。
松は強くて弱い木だと書いてあった。
多種多様の群生の中では弱さゆえに淘汰されてしまう。
でも、火山で隆起したゴツゴツした土の少ない過酷な環境でも生きていける。
やっぱり生き残るのには何か特別な力が必要なんだな、と実感する。


十和田神社で旅の安全を祈った。


乙女の像。
写真を撮ろうと思ったら、おばさんの大群が銅像と同じポーズで記念写真を撮っていて、待たされた。
おばさんのように中年太りしていて、乙女というかババアの像だな。


近くで焼き団子を買う。
火がしっかり通っておらず、まずかった。


奥入瀬渓流に向かう。
葉のない気が寒々しい。
新緑や紅葉の時期にきたらもっと素晴らしいんだろうな。


車を降りて歩いてみる。
しかし、雪道に阻まれる。


強引に進もうと思ったらコケた。
雪が軟らかくて足を取られた。


車道を歩き、滝に到着。
人が増えてきたので退散する。


巨大な岩が木に寄りかかっている。
下が空洞になっていて、昔、美人な盗賊が住みかにしていたと、書いてあった。
ホントかよ、こんなところに住むか?


阿修羅の流れに到着。
看板によると、one of the most beautiful stream in Oirase.らしい。


奥入瀬渓流館に到着。


2階に上がると、奥入瀬渓流の油絵が展示されている。


秋の渓谷は素晴らしいんだろうな、と絵を見て想像する。


十和田ゴールドラインを駆け上がる。
奥には八甲田山が見える。


道中で一休み。
雪の架け橋を見つけた。
明日には崩れてしまうだろう。


券売機でチケットを買おうとすると、おばさんが声をかけてきた。
半額でいいから買って!娘が混浴だから嫌だっていうの!
そう、ここは混浴。
フルチンでブラブラ歩くことができないので、ちょっと窮屈かな。


温泉の後は、銅像茶屋へ。
ここで遅めの昼食を取る。


そして、併設されている雪中行軍記念館へ。


雪中行軍の惨事の記録を見学することができる。
対ソ連戦を想定した訓練だったんだけど、遭難して、大半の隊員が凍死するという大惨事になった。
映画にもなっているよね。


当時の装備が展示されている。
当時は長靴がなかったらしいよ。
なので、雪が直接、隊員に足を冷やし、一気に凍傷になってしまったようだ。


生存者がほとんどいない。


何とか生存した僅かな人も、手足を失っている。
本当に酷いね。


城ヶ倉大橋に向かう。


素晴らしい景観だ!と言いたいけいど、雪中行軍の惨状を見た後だと、そうは思えない。
猛吹雪の中、こんな山を越えるなんて正気とは思えない。
戦時中に生まれなくて良かった。


時間は早いけど、今日はここまでにする。
青森市に行って、毛布を調達しないと。
このままだ寝不足で事故でも起こしたら目も当てられない。

【4日目】恐山と六ヶ所村原燃PRセンター


さすがは北陸の大都市、青森市だよ。
市街地は大型のデパートやスーパーがいたるところにあり、すぐに毛布を売っている店を見つけた。
おかげで、昨夜は安眠できた。
今日も快晴!
GW前に仕事を頑張って片付けた甲斐があったよ。


浅虫温泉はビル型の珍しい道の駅だ。
昨夜は風呂に入らずに寝てしまったので、ここで朝風呂を浴びる。
5階の展望浴場の眺めは最高だ。
遠くに湯の島が見える。


下北半島に向かう。
途中、横浜の看板があって、神奈川県にワープしたのかと思った。


下北半島に入ると、車の通りが少なく、寂しい風景になってきた。


目の前に風力発電の羽が出現した。
強風が吹き荒れる下北半島は風力発電が盛んなのだ。


ついに信号が縦になった。
本州で信号が縦なのは下北半島だけなのかな。
厳しい冬であることを予感する。


六ヶ所村原燃PRセンターに到着。


外観と同様に中も洒落た作りになっている。
六ヶ所村は日本の原子力発電と切っても切り離せない場所だ。
この村には、「核燃料の再処理施設」、「低レベル核廃棄物の処分」、「高レベル核廃棄物の一時保管場所」と3つの 役割を担っている。


核燃料棒の見本だ。
一本、一本のステンレスの棒の中にウラン燃料を充填しているらしい。


六ヶ所村は全国から集められた低レベル廃棄物を処分している。
放射線量が安全なレベルになるまで、300年にわたり管理すると書いてあった。
高レベル廃棄物についても六ヶ所村に一時的に保管されている。
国家として、高レベル廃棄物をどうするか未だに具体的に決めていない。


漁村を抜けて先に進む。
潮の匂いがする。


藁葺き屋根の家が倒壊して、そのままになっている。


駐車場に車を止めて、ひば埋没林に向かう。


鬱蒼とした道を進む。


このあたり一帯は海から飛んでくる砂で一時は埋没してしまった。
それにより、ヒバの木は立ち枯れしてしまったんだけど、小川の浸食により再び姿を現したのが、このヒバ埋没林だ。


地面を手で掘り返してみると、確かに砂だった。


一度は枯れて地中に埋まったヒバの木が再生している。
生命力の強さに驚かされる。


尻屋岬に向かう。
霧が出てきて寒くなってきた。


寒立馬という馬が放牧されている。
短足でサラブレッドのように格好は良くないけれど、極寒と粗食に耐える生命力の強い馬なんだって。


尻屋崎灯台。


灯台をみまもるお地蔵様。


灯台のそばに食堂があった。


青森産の豚を使った豚丼を食べる。
うまかった。


恐山に向かう道中にある三途の川。
人は死ぬと、必ずここに来るらしい。


そして、左のオバサンに身包みを剥がされる。
それを、左のおじさんが木の枝に吊るし、たわみの大きさで、生きていたときの罪の重さを推し量るらしい。
罪が重ければ地獄行きが決定する。


ひょうきんな顔のお地蔵さんが迎えてくれた。


恐山菩提寺。
立派な門だ。


500円の拝観料を払って中に入る。


荒涼とした道を歩いて極楽浜を目指す。


いたるところで風車がくるくる回っている。


安らかなお顔のお地蔵様。


褐色の小川が流れている。


触ると暖かい。
温泉の小川だよ。


極楽浜が見えてきた。


確かに幻想的かも


水面を見ると、ぶくぶく泡が見える。
温泉が沸いているのだ。
水の色は温泉の成分が含まれているからだと思う。


なかなかカッコいいキャップをかぶっているな!


重罪地獄。


金堀地獄。
極楽はひとつなのに地獄はたくさんある。
それだけ、罪人の数が多いのだろう。
今の社会は罪を犯さないと生きていけないのかもしれない。


敷地内に自由に利用できる温泉がある。


歩きつかれたので、温泉で一休み。
湯は非常に熱かった。
硫黄の香りがすごい。


アイスを食べてクールダウン。


もう17時を過ぎた。
本州最北端は明日のお楽しみにして、今日の旅は終わりにする。


日記を書くためむつ市に移動する。
マクドナルド、ツタヤ、オートバックス、ヤマダ電機、ケンタッキーとこんなに北に来ても景色は変わらない。
日本の街づくりは本当に画一的だ。

【5日目】仏ヶ浦、斜陽館、そして旅の終わり龍飛崎へ


道の駅「わきのさわ」で6時頃に目が覚める。
毛布を調達したおかげで寒さで目が覚めることはなくなったが、 どうにも疲れた取れない。
旅の疲れが溜まっているのかもしないな、と思った。


今日も快晴だ。
仏ヶ浦に向かう。


下北半島は基本的に観光客が少ない。
やはり東京から1000Kmも離れていると、GWとはいえ、わざわざ来る人は相当、少ないんだろうな。


崖が海からの風や波に浸食されて奇怪な形になっている。
岩のひとつひとつに仏にちなんだ名前がつけられているそうだ。


海岸への道を下る。
ウグイスの鳴き声と木々のざわめきしか聞こえない。
朝が早いせいか誰もいない。


海岸までの道は遠く、かなり急な坂と階段を下りる。
帰りのことを考えると憂鬱になった。


海岸に到着。
不思議な光景が広がっている。


海水の色が深い緑色で、それがこの不思議な光景に拍車をかけている。


なんでこんなに緑色なんだろう、と疑問に思う。
黒い点々はウニだよ。


仏像っぽいかも。


いったい、自然がこの景観を作り出すのにどれほどの時間をかけたのか考える。
1万年だろうか、10万年だろうか、それとも1億年だろうか。
恐竜が世界を支配していたときには、この光景はすでにあったのかな、と考える。
答えはでるはずもなく、歩き疲れると疑問そのものが何処かに行ってしまった。


本州最北端の大間崎を目指す。


大間崎に到着した。
遂に来てしまったか、と思った。
4月28日に家を出てから5日目。
なんか、あっという間だったな、と残念な気持ちになる。


霞がかかっていないときは、ここから北海道が見えるそうだ。
今日は残念ながら見えなかった。


200円でイカ焼きを買う。
獲れたばかりの新鮮なイカだそうだ。
うまかった。


iphoneで現在地を確認する。
確かに本州最北端だな。


下北半島に別れを告げる。


太宰治の生家、斜陽館へ。
さすがに豪邸だね。


太宰が小説の中で、「父が広いだけで何の趣もない家を建てた」と書いていたけど、実はすごく趣きのある建物だった。


2階には洋室もある。
和洋折衷の立派な邸宅だよ。


蔵は資料館になっている。
太宰が川端康成にあてた直筆の手紙が展示されていた。

手紙
苦難の一年でした。
生きていただけでも褒めて下さい。
生活に困窮しているのです。
「晩年」だけは恥ずかしくない作品です。
私に希望を下さい。
私に名誉を与えてください。
老母を喜ばせたいのです。
私を見殺しにしないで下さい。

これは、芥川賞を下さいと、懇願しているのだ。
直筆の文章は太宰のひっ迫した状況がリアルに伝わってくる。


満開の桜並木を抜けて、竜飛岬に向かう。
日が傾いているので、急がなくては。


旅はもう終わりに近い。


有名な階段国道に到着。


階段を下りる。


文学碑に到着。


文学碑にはこう書かれていた。

文学碑
ここは、本州の袋小路だ。
読者も銘肌せよ。
諸君が北に向つて歩いてゐる時、 その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、 必ずこの外ヶ浜街道に到り、路がいよいよ狭くなり、 さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小舎に似た不思議な世界に落ち込み、 そこに於いて諸君の路は全く尽きるのである。
路は全く尽きる。
これは自分の人生においても、また、今回の旅路にしても通じるところがある。
「終了~。」と声に出す。
もちろん、2つの意味で言ったのだ。


その後、健康センターで風呂に入り、これまで旅を思い出す。
天気予報を見ると明日からは雨になるようだ。
雨は俺の旅が終わるのを待ってくれていたかのように思える。
ネットブックを閉じて、800Kmもある家路を急ぐ。