東京都三鷹、太宰治の墓参りに行く

6月13日は太宰治の命日。
実の話し、俺は高校を中退しているんだよね。
学校を辞めて、バイトも決まらずに、将来、どうしようかな、と悩んでいるときに、夜な夜な読んでいた小説が太宰治だった。
あのときから大分、時間が経ってしまったけど、ようやく太宰治の墓参りに行くことができた。

ネガティブな文章に込められたユーモア、これが太宰文学の魅力だよ

太宰治文学サロン


近くのコインパーキングにクルマを停め、まずは太宰治文学サロンへ。


場所的にはこの辺。
他にも太宰治ゆかりに地がいくつかあるみたいだ。


中はそんなに広くはない。


頬杖をついて酒を飲む太宰。
マジで絵になる。
太宰はやっぱりイケメンなんだよな。


直筆の文書を読むことができる。
これは、税金が支払えない旨を弁解する手紙。
「支出がおびただしき上に、昨年は病気ばかりして、悲惨な日常生活をしてまいりまいして、とても納入の可能性はございません。」
と書いてある。

この時代って太宰治ほどの文豪でも金に困る生活だったんだな。

太宰が入水自殺した玉川上水


玉川上水のそばを歩く。
あじさいも咲いているね。


太宰治が入水自殺した玉川上水。
水深は10Cmくらいしかなく、流れも非常にゆるやかだ。

昔は激流だったんだろうな。

当時の面影を残す陸橋


また少し歩いて、陸橋へ。


時代を感じ趣がある。
太宰が生きていたときの雰囲気を何となく感じることができるよ。

お墓参り


禅林寺へ。
ここに太宰のお墓がある。


普通の墓地。


そんなに広い墓地じゃないんだけど、結構、探したよ。
ご覧の通り、他の墓と全く同じ。
日本人なら誰でもその名を知る太宰治というあまりにも有名な作家のお墓にしては、質素だ。
花は太宰治のファンが供えたものだろうか。

先生、どうか安らかに・・・

【おまけ】天下茶屋


これで終わりなんだけど、ちょっと短い気がするので、おまけです。
季節は秋になり、場所も三鷹から甲府に移動し、天下茶屋へ。
ここに太宰は3か月ほど滞在し、「富嶽百景」を書きあげた。
2階は資料館になっていて、1階では名物のほうとうを食べられるので、太宰ファンなら訪れるべき。


富嶽百景で太宰はこの天下茶屋からの景色を「まるで、風呂屋のペンキ画だ」と気に入らなかった様子。


その一方、太宰が愛したのは、この月見草。
「富士には月見草がよく似合う」と書いている。

ちょっと偏屈なところが太宰らしい

太宰治の小説を読んでみてください

せっかくだから、俺が好きな太宰治の文章を紹介しようかな。

「思い出」より
私が三年生になつて、春のあるあさ、登校の道すがらに朱で染めた橋のまるい欄干へもたれかかつて、私はしばらくぼんやりしていた。
橋の上での放心から覚めたのち、私は寂しさにわくわくした。そんな気持のときには、私もまた、自分の来しかた行末を考えた。橋をかたかた渡りながら、いろんな事を思ひ出し、また夢想した。そして、おしまひに溜息ついてこう考えた。えらくなれるかしら。
「葉」より
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
「女生徒」より
朝は健康だなんて、あれは嘘。朝は灰色。いつもいつも同じ。一ばん虚無だ。朝の寝床の中で、私はいつも厭世的だ。いやになる。いろいろ醜い後悔ばっかり、いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、身悶みもだえしちゃう。
「畜犬談」より
「だめだよ。薬が効かないのだ。ゆるしてやろうよ。あいつには、罪がなかったんだぜ。芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ」私は、途中で考えてきたことをそのまま言ってみた。「弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ。僕は、ポチを東京へ連れてゆこうと思うよ。友がもしポチの恰好かっこうを笑ったら、ぶん殴なぐってやる。卵あるかい?」
「ええ」家内は、浮かぬ顔をしていた。
「ポチにやれ、二つあるなら、二つやれ。おまえも我慢しろ。皮膚病なんてのは、すぐなおるよ」
「ええ」家内は、やはり浮かぬ顔をしていた。

最後に畜犬談は30分くらいで読める短編なので、読んでない人は是非、読んでみて欲しい。
著作権が切れているので、無料で読めるよ。
この作品はまず出だしからして面白い。
「私は、犬については自信がある。いつの日か、かならず喰くいつかれるであろうという自信である。」

ね、読みたくなったでしょう?
↓にリンクを貼ったので、読んでみると良いです。
参考 畜犬談